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バリ日本人会25周年に寄せて。

私がバリに住みはじめて今年で25年目になります。
偶然にも バリ日本人会も今年で25周年ということで [楽園通信という会員誌のリレートーク
25周年特集に 何か書いてと 依頼され、寄稿したもの です。↓↓↓


日本人会25周年おめでとうございます。
バリに住んで25年目の○田◎子です。

バリに長期滞在中、ひょんなことからプラザバリのオープニングスタッフとして就職することになり、日本にとんぼ帰りして ふたたび クタに戻ってきたのが1991年2月湾岸戦争の時です。
当時 バリで働く日本人独身女性は10人足らず。
その頃から今もバリに居るのは 私とS女史です。




バリにはじめてきたのは、1987年。
しかもはじめての海外旅行先がバリ。ハワイとか ニューカレドニアに憧れていた私は
強くバリをリコメンする友達に押されて じゃあ、いってみるかと パッケージ旅行
5泊6日で来バリ。
中盤でウブドへ行って ティルタサリ歌舞団を観賞。
キンキラキンのガムランを聞いて私クラクラと 一瞬立ちくらみ&失神したんです。
丈夫が自慢で朝礼で失神する女の子に憧れていたくらいの 私が 失神したんで
連れの里英(細身!)はとてもびっくりして心配してたけど、後日談として

「やっぱり あの時に ◎子は バリに 魂を取られてしまったんじゃない。笑」なんて言われてました。

その後数回バリを訪れ クタや ウブド両方に滞在してましたが、就職のきっかけとなった人との出会いも やはりウブドでレゴンダンスのレッスン中でしたから
やはり御縁ですね。

自由な旅びとの 時は パラダイスだった バリも
勤め人となると、一気に現実的に。
カルチャーショックも 多々ありましたが、でも私は バリ&インドネシアが大好きでした。(もちろん今も好きですよ。)若かったからかも知れませんが、一筋縄でいかないところ、日本に居た時みたいに のほほんとしてられないところに 面白味さえ感じました。

「ここだったら、自分らしく 生きられる。」
「働きながら バリに住めるなんて 最高だ。」
毎日幸せに 働いていました。

プラザバリでは、ちょうど7年仕事しました。
仕事を通して、インドネシア内外の色々な方と出会い ゲストリレーションから マーチャンダイズまで色々な経験をさせてもらえたことは
本当にためになりました。本社ジャカルタからのマネージャーが多かったし、
香港の中華系マネージャー イギリス人のGM 個性的な人ばかりでした。

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1991年働き始めたころの写真です。若っ。

インドネシアには、お誕生日の本人が みんなに 食べ物やケーキをふるまう習慣が
あります。無事誕生日を迎えられたことを感謝して 本人が自発的に用意するのです。
当時の私は 
「なに、それ変なの。普通周りの人が 買ってくれるでしょう。」って反論してました。
オフィスのみんなは笑って 私の話を聞いてました。

そしたら、数か月後の私の誕生日 みんなから ケーキと花のプレゼント。 驚かせてくれました。私は 嬉しいやら、子どもっぽい事を言った自分が 恥ずかしいやら。実はとてもウルウルしてました。

みんな優しいなあ。
ひとり バリに住んでいても さみしいと思ったことがなかったです。

最初は カルチャーショックだった
時間にのんびりしてる。
雨が降ったくらいで遅刻する。
大の大人が 家族が具合悪いくらいの理由で 仕事休んだり 早退したりする。

と いらいらしていた私でしたが、
いつからか インドネシアの人は幸せそうだな。
心豊かだなと 思うようになりました。

受付担当だった時のエピソードですが、
VIPゲストのお食事のアテンドをする私は、スタッフに 「これからレストランで
食事するから 終わるころに 私にゲストのショッピングカードを持ってきてね。」と
頼んで 店内にある中華レストランへ。
前菜もまだ出てこないころに さっきのスタッフが 「ともこさん、ショッピングカードです。」って 持ってくるのです。まあ、遅れるよりいいかと受け取りました。
ゲストを見送ってから スタッフに 「どうしてあんなに早く持ってきたの?まだ五分くらいしか経ってなかったよ。今度から45分後くらいでいいからね。」
そしたら、スタッフが言うんです。
「そんな長い時間食べ続けるんですか?私たちは ご飯って5-10分で食べちゃうから
わかりませんでした。」ってニコニコしてる。

私、はっとしました。
スタッフは 中華のフルコースなんて 食べたことないんだよな。
そりゃあ、わからないよな。
私の方が、彼らの知ってること知らないこと を理解して 教えていかなきゃいかないだなと 当たり前のことですが きづいたのです。

当時のスタッフは本当に素朴でいい子たちばかりでした。
今でもどこかでばったり会うと「ともこさーん」って声かけてくれます。
20年ぶりくらい経っているので 時々「この人誰?」ってくらい
激変している場合も 多々あります。笑。
それにひきかえ、私は当時のまま あまり変わらないのかしらと
ひとり自惚れてます。

十年近く住んだレギャンから2000年に BatuBulanのBTNに
住まいを移しました。
スマトラ・ランプン出身の夫、一人娘と住んでいます。
長いおつきあいのインドネシアの知人や マスジッドつながりの友人も 多く
すっかりこちらに馴染んでおりますが、日本人会にもお世話になっております。


最後になりますが、
バリで生まれた子どもたちが補習校に通えること ほんとうにありがたいです。
補習校の歴史をふりかえると、たくさんの方々の思い、お力、サポートのおかげで
今の素晴らしい補習校があることを 誇りに思います。
子どもたち、大きくはばたけ。




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by pilihpilih | 2015-10-18 21:54 | バリ